私立通信制高校のリアル③(いじめ論として)

私も最近気づいた点ですが、私の学校に来る生徒の半数ほどは
「元不登校」です。

学校が合わないため、あるいは学校が何も対応をしないため、
不登校になった生徒です。

いじめられていた生徒もいます。
特性が強すぎて学校が「相手にしなかった」生徒もいます。

ですが、私の学校には「通えている」のです。

私の学校の自慢には「いじめが少ない」ということがあります。
大津の話を見るたび、この点は最大限に強調したいと思います。

人数が多くない分、生徒がいろんな生徒・教員と関わります。
特性が強い生徒もいるぶん、「自分らしさ」をごく簡単に出せます。

通常、高校は「偏差値」で輪切りになります。
そのため、話題や境遇はかなり近いものになります。
話しやすい反面、ちょっとでも周りと違うと「あいつ違うよね」といじめの原因になることがあります。

「みんな一緒だよね」という同調圧力が強いぶん、個性を出せないのです。
(内藤朝雄さんの『いじめの構造』では、クラスという「中間集団全体主義」 の強い環境がいじめを誘発する、と言います)

私の学校は違います。
ハッキリ言っていいのか悩みますが、
特定の教科がおそろしく出来る生徒もいる反面、
学習のハンデを持っている生徒もいます。

境遇も、不登校・高校中退・転入などなど、いろんなルートで入学してきています。
「みんな一緒」という空気はほとんどありません。

だからこそ、皆自分を出せます。

毎日、制服で来る生徒もいます。
コスプレで登校する生徒もいます(電車にどうやって乗ったのか、疑問ですが)。
専門学校に行きながらダブルスクールで来ている生徒もいます。

札幌の学校ですが、毎日特急に乗ってくる生徒もいます。
(石川や東北から来ていた生徒もいます)

多様すぎてよくわからなくなります。
だからこそ、皆カンタンに自己を出せるのです。

違いすぎると、いじめる必要はありません。
逆に共通点を捜すよう努力するようになります。

いじめられる要素も特にありません。
なぜなら違いすぎるため、いじめても(おそらく)面白くないからでしょう。
いじめはいじめられる側・いじめる側の違いが近いほど起こりやすいのです。

あるいは、いじめられる側が圧倒的少数で、いじめる側が圧倒的多数の場合に起こりやすいです。
(先ほどの「中間集団全体主義」です)

いじめの「きっかけ」というか「言い訳」は、大体「少しトロい」や「ちょっと変わっている」という点です。「少し」や「ちょっと」を理由にされるわけです。

圧倒的少数の人が「違っている」場合も、いじめの理由になります。

しかし。
うちのように「圧倒的多数」が皆「違っている」状況では、
「話せる友人」を作るには「違っている」人と話すことが必要です。

そんな状態ではいじめをする動機は非常に下がります。
誰だって、孤立したくありません。

いやでも「コミュニケーションをとりたい」という人間の本源的欲求ゆえに、
周りと交流・社交するようになります。

だからこそ、私の学校ではいじめは起こりにくいです。

つまり、「コミュニケーションを人は求めるため、【圧倒的多数がみんないろいろ違いすぎている】状態ではそもそもいじめによってコミュニケーションする相手を減らすことはしない」という動機が起こるのです。

実はもっと本質的な理由があるのですが、それはまた明日!

(続きます)
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