バーテンダー、やってます☆彡

何気に先週から、バーテンダーをやってます。

場所はこちら↓

Coworking Cafe 36 (北海道札幌市豊平区豊平3条8丁目1-28

 

毎週日曜日、19:00-23:00が私のバーテンダーの時間です。

 

いろんな人と関わりあう場を作っていく。
そういう意味で、このバーの運営も「ノマド・エジュケーション」であります。

先週はうどんを作れるスーパー北大生にシェフを依頼。
今週はハンバーグにうるさい北大1年生・期待の新人にシェフを依頼。

運営の時点で「かかわり合い」の場となっています。

特に、北大の「つながる八百屋プロジェクト」の野菜販売については
毎週日曜日行なっていただくことを考えております。

バーの利用者のみならず、通りすがりの人にも、
札幌近郊で取れたとれたて野菜を買って頂きました。

 

私の大学時代の恩師も言っておりました。

「教育とは、いろんな人と関わることだ」と。

それを実践するバー、今後もやっていきます!

ぜひ、遊びに来てくださると嬉しいです。

なお、9月のバーイベントの一覧です。

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9/9(日)カウンセリング・ナイト:臨床心理士をめざす美人大学院生による
「カウンセリングで癒される」イベントです。

9/16(日)沖縄ナイト:沖縄料理が上手なシェフによる沖縄料理イベントです!

9/23(日)中国トークナイト:中国留学経験のある人をお招きするなど、
中国について語り合うイベント。

 

ぜひお越しくださいね!

駐車場は2台、最寄り駅は「東豊線・学園前駅」です!

「私立通信制高校のリアル」、実施しました☆彡

本日、東京・水道橋のネコワーキングにて、イベントを行いました!

「私立通信制高校のリアル」という、
通信制高校の知られざる一面を探ったイベントです。

私 藤本の教員経験をお話させていただくというイベントです。

なかなか知られていない「私立」の通信制高校の内情を
知っていただくという数少ないイベント。

今回は15名もの方々にご参加いただきました!

本当にありがとうございました

参加した方からは、

「通信制高校教員のリアルな声を聞けてよかったです。
また新たな世界に出会えました」

という、ありがたいコメントを頂戴しました!

あまり知られていない上に、
学校によって個性が異なるのが通信制です。

大変ですが、面白い学校です。

13名の教員の内、社会科教員3名、国語科4名、福祉科1名、情報科1名、体育4名という「ありえない」バランスの悪い学校です。

数学が苦手ゆえに東大にいけなかった私が、
数学科の試験を作っているという学校です。

醍醐味をお伝えすることができ、
自分としても大変楽しいイベントとなりました☆彡

次回、札幌でもイベントをする予定です。

ご参加いただいた皆さま、大変にありがとうございます!

追記

なんとご参加下さった田植さまが、ブログに記事を書いてくださいました!

感謝です!

http://ameblo.jp/hoshinokyori1103/entry-11331257269.html

帰京日記2日目。

東京はガヤガヤ。

何が何だか分からない混乱さがある。

一言でいうと、「選択肢」が多すぎる。

札幌のような「スッキリ」さがない。

ときどき自分はどこにいるべきなのか、よくわからなくなってきた。

今日は秦野の学習塾の経営をされている方と会った後、
鶴巻温泉駅の「弘法の里湯」へ。

少し雨が降る状態で入る露天風呂は格別であった。

小田急線にのり、うとうとしながら電車に乗り、新宿へ。
いまは表参道の文具カフェを目指している(16時46分)

東京だからこそ行けるところ、
東京だからこそ行くべきところにいく予定である。

ただ、「行くべき」場所はたくさんあるし、
会いたい人・会うべき人もたくさんいる。

東京はスケールサイズがでかすぎる。

あちこち行くにしても、
荷物と暑さがジャマをする。

でも、それはそれで楽しい。
「旅」という感じがする。

それにしても人はなぜ旅にでるのだろう。
わざわざ、自分の可処分所得と可処分時間を切り裂いて。

旅の本質は「ヴァルネラブル」vulnerable。
不安定さと不確かさ。それと相付随する「自由」と「気楽さ」。

あちこちに行き、
不安な自分を感じ、
同時に自由を感じる。

日常性から切り離されるからこそ、
新たな発見がある。

それが旅の本質だろう。

旅に出て、
前から行きたかったところへ行く。

それはある意味、過去の自分との対話。
過去に望まれたことを実行に移す。

そういう面白さが旅にはある。

旅に出るならば、
いいノートかノートパソコンを持って行きたい。

そこはかとない思いや空想・幻想を
書き留めたいからだ。

いま『空間の現象学』を読んでいる。
旅とは別の空間との出会い。
空間が変わると、別のメッセージ性がもたらされる。
これはある意味、自分が別人になるプロセス。

そのかけがえのない瞬間を、何らかの方法で書き留めたい。
人間にはそういう欲望もあるのである。

「やる」側に、なろう!

私は演劇が好きである。
あるときから、演劇に出ている人に嫉妬するようになった。

同様のことはステージで漫才をする人や歌っている人にも
向くようになった。

この嫉妬の理由ははっきりしている。
「自分がやりたいから」だ。

映画を見ても演劇を見ても、
自分ではない人がやっている。
そのことに憧れを感じると同時に、
「自分がやる側ではない」ことに残念さを思っていた。
それが「嫉妬」となっていたのだろう。

最近、こういう思いは若干減った。
普通に演劇を見れるようになった。

「なぜだろうか」と思っている。

おそらく、自分がイベントをする側になったからではないか、
というのが自分なりの答えだ。

ながりなりにも自分は教員の仕事をしているので、
教員のことを語ったり、
イベントで何かをまとめたりすることは得意である。

そして実際に何度かイベントを行い、
参加者も来て下さった。
非常に達成感を感じた。

自分が何かをできるようになると、
「自分にできない」分野で活動している人を
すなおに尊敬できるようになってきた。

いろんな人を批判する人は、結局
自分に自信がなく、
自分で何もできないという思いがあるから批判をするのであろう。

まず自分で何かをやり、結果を出す。
そうすると自分に自信が(若干でも)持てるようになる。

やる側になるのが大切なのだ、と思う。

帰京日記1日目。

よく考えると、東京に常設の宿がなくなった。

そうすると、戻る気力がだいぶ失われることに気づく。

 

帰京したのだが、どこへ言って良いのやら。

知り合いに会うために帰ってきているため、

どこへ行きたいという願望がない。

 

もっというと、泊まるところすら決めておらず、放浪の旅だ。

 

まさに「ノマド」。

 

どこへ行こうか風まかせ。

 

とりあえず浅草に行って、寄席でも見ようかな。

一番「日本」っぽい町だし。

 

東京ではスタ丼にいければ後悔はない。

 

地下鉄に乗って気づくのは路線の異常な多さ。

東京は「一極集中」といいながら、

都市機能は東京中に分散している。

札幌のように「札幌」「大通」集中ではない。

そのため大変わかりにくい。

 

料金はそのかわり、非常に安い。

札幌はどの路線も200円スタート。

東京は結構遠くまで行っても200円以内だったりする。

(山手線半周でも190円だし)。

 

札幌からみれば、東京は「南国」ムード満点のリゾート地。

ちょっといけば海にいけるし、

鎌倉も案外近い。

皆薄着だし、暑さだけを言えば冬に東南アジアに遊びに行くのと

あまり感覚的な違いはない。

 

札幌から見れば、東京は十分「魅力」的な

リゾート地なのである。

 

地下鉄代は安いし、店のサービスも良い。

途上国並みに電車は混んでおり、

人口密度も高い。

 

すべてがごちゃごちゃしている点から見ても、

都市計画を再考している国々と違いはない。

 

札幌基準で考えると、

東京は「変な」場所だったのだと改めて気づいている。

 

…だからこそ、魅力的なのだ。

 

【「逃げ」の哲学!】 開催しました

Link Next ✕ 日本ノマド・エジュケーション協会コラボ企画第1弾、
「逃げ」の哲学!

本日、開催いたしました!

「逃げずに頑張る」ことを問いなおすというトークイベント。

参加者の方々と、「逃げ」について、語り合いました。

 

ハイライトは、KJ法的に皆の「逃げ」観を表にまとめたこと。
ポジティブ・ネガティブの2点から、「逃げ」についてまとめました。

「逃げ」のネガティブな意味は「避難先」。
「そこから逃げないと危ない」という意味の「逃げ」です。

 

「逃げ」のポジティブな意味は「発掘先」。
新たな価値観を探し出す意味の「逃げ」です。

 

ポジティブ・ネガティブの中間には
「模索先」というカテゴリーがあり、
どのように「逃げる」か、
どのように「選択」するか、考えることが
必要であると確認しました。


皆の「逃げ」観を共有し、
新たな生き方像を考察しました。

 

もともと私がフリースクールなどの
「オルタナティブ・スクール」を研究していたことが
この企画の狙いです。

 

オルタナティブ、つまり「もう一つの道」「もう一つの選択肢」を考えていくことの大切さを確認いたしました。

キツいときや辛い時は「逃げる」ことの大切さを考えていく。
「そういうこともたまにはありだよね」としていく。

「逃げ」の選択肢のある「良さ」を、
もっと考えたいと思います。

 

エドワード・レルフ『場所の現象学−−没場所性を越えて』ちくま学芸文庫, 1999。

修士論文の1つの章で「居場所」論を検討をした私にとって、
人間における「場所」の意味合いは興味の対象である。

フリースクールでは「居場所」が多く語られる。

その人物が、ホッと一息できる場所。
自分に戻れる場所。
あるいは自分を回復できる場所。

そのため、フリースクール校には
居場所空間を意味することばを名前に持つ物が多くある。

たとえば「ハッピービバーク」や
「たまリバー」などなど。
(研究している人はいないけど)。

落ち着ける場所の大切さを、フリースクールや通信制高校の名前として
使っているわけである。

人間は空間から多くのメッセージを受け取る。
広大な空間では雄大さや孤独さを、
狭い部屋では落ち着きと鬱屈さを、
それぞれ無意識のうちに受け取っている。

そういった空間や「場所」の持つ意味合いを、
レルフはハイデガーの理論を批判的に参照しつつ、
説明していく。

「明らかに私たちのだれにも、黙想するために引きこもることのできるプライベートな場所がある。とくに子供にとっては、そうした場所は自己を発見するための根拠地となるし、洞窟、樹木、あるいは家のなかの片隅さえもが「ぼくの場所」として主張されることもあろう」(49)

私にとっての「ぼくの場所」とはどこだろう、と
ふと思う。

シェアハウスという公共空間に住むものとして、
シェアハウスは間違いなく「ぼくの場所」だ。

自室も「ぼくの場所」である。

では、職場はどうか?
職場は職場としての「メッセージ」を持つ。
けれど職場に生徒と接する側にいる時、
「ぼく」というよりも「教員」の役割を
わたしは演じることになる。

そのことに気安さを感じる反面、
「役割」を演じていることを実感することも多い。

「役割」を気にしなくてもいい空間。
それが「居場所」なのであろう。