サン・テグジュペリ名言集①

人生には解決法なんてない。ただ進んでいくエネルギーがあるばかりだ(サン・テグジュペリ)

広告

「食べリンクin大谷地」、開催しました!

本日、第1回「食べリンクin大谷地」、開催しました!

これは日本ノマド・エジュケーション協会と、
若者協力事業所Link Nextとの共催です!

美味しく食事とお菓子をつまみつつ、
子どもと関わる上での醍醐味と
難しさを交換しあいました。

今回、私・藤本研一とLInk Nextの田中耕平さんとの
「前座トーク」を行いました。

こういう形式のトークイベントをするのは初なので、
なかなか勉強になりました。

次回は今回出た「子どもと関わる上で大切なこと」を、
話し合いたいと思います。

以下が次回詳細です。

多数のご参加、お待ちしております☆彡

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第2回  子ども×教育 タベリバ

【日時】2012年11月25日(日)
13:00-15:00

【場所】札幌市厚別区大谷地東3丁目1ー1シンエー大谷地ビル2階「Link Next」

【参加費】500円

【持ち物】お弁当

http://www.facebook.com/events/506653392679295/?context=create

ノマド・ゲーム考

いつでもゲームをする。

それがノマド・ゲーム。

子どもは電車内で、ちょっとした時間を逃さず、DSやPSPを使う。
社会人よりもよっぽど時間を有効活用している。

ぼーっと電車に乗る人は、大人ほど多い。

子どもは本・雑誌を読む。
マンガを見る。
iPodを聴く。
アニメを見る。
ゲームをする。

社会人よりも、電車時間を価値的に活用している。

そんな子どもに学びたい。

修士論文執筆中の方への「餞(はなむけ)」の言葉

教員をやっていると、ふと1年前まで自分が院生であったことを懐かしく思い出します。

 

1年前、私は「教採活動」をしながらの修士論文執筆でした。

「教採」、つまり教員採用活動です。

 

ただ、言うほど「教採」には本腰を入れていませんでしたが…。

 

私が「教採活動」を始めたのは昨年9月。

8月に「もう研究者になるのは無理だ」という「挫折」をしました。

未だに覚えています。

夜22:00に高田馬場のスターバックスで原稿執筆中、

不意に泣けて泣けて仕方がなくなりました。

「こんな研究も満足にできない」挫折感が、急激に内面から湧いてきたのです。

 

気持ちを切り替えるために中国にも旅行し、

意味なく熱海の友人の家に遊びに行きました(ごめんね、藪ちゃん)。

 

最終的に切り替えられたのが、私の場合、教採活動でした。

エントリーシートと履歴書を書きまくり、

学部生時代の「教科教育法」の授業を思い出しつつ模擬授業練習をしました。

(公立はちなみにもう採用はやってません。私立だけ勝負、でした)

 

でも社会科教員なんて、どこも足りています。

(おそらく)学歴で模擬授業まで進めても、その先は全然進めません。

 

「不採用」通知に涙しました。

 

埼玉の本庄にある高校に模擬授業に行く際、

乗る列車を間違え、なぜか宇都宮線の栃木駅を通過したときの衝撃もありました。

完全な遅刻。

「また御縁がありましたら」との携帯電話先の声に失望し、

そのまま東武動物公園でゾウを眺め、すごすご早稲田に戻りました。

 

なかなか散々です。

でも、その時期から、何故か(むやみに)コワーキングスペースのインターンシップも始めました。

 

やることが「ぶれて」ます。

でも「ぶれて」いたからこそ、得るものも想定外に大きかったです。

 

修士論文ごときに「やられ」たくない。

教採ごときに「やられ」たくない。

そんな思いでいっぱいでした。

 

どこかの時点で、修士論文とは良くも悪くも「出せば」受取ってもらえるもの。

そう開き直りました。

 

単なる「研究」で出来ないことをやる。

私の場合は「実践」でした。

インターンシップは、格好の舞台となりました。

 

インターンシップでやったのは、まあ言えば掃除とネコの世話(変わったコワーキングスペースです)。

この2つ、やってみると奥が深いこともそのコワーキングスペースで学びました。

あとは来客してくださる方への挨拶です。

ほかにも各種イベントの開催・裏方(修士論文を書いているのに、年越しパーティーのお手伝いもしていました)。

大学院では絶対経験できない知見を得ることが出来ました。

(この知見が、早稲田大学教育学会主催のセミナーの運営にも活かされました)

 

色々ありましたが、年末にはいまの職場にも内定が決まりました(札幌とは思いませんでしたが)。

 

並行して、いろんなセミナーにも行きました。

1月の頭には噂に聞いていたTOSSにも参加、「常連」となりました。

教員としての実践の基本を教えて頂きました。

 

そして1月第2週に修士論文を提出。

開放感と同時に「ああ、1つ山を超えたな」感でいっぱいになりました。

 

さて、昨年の9月のはじめごろに私と会った方はご存知と思いますが、

そのころ私は「欝」でした。

 

大学院の将来の見えなさに憂鬱になっていました。

いろいろ試して気づいたのは、

「自分は不幸だ」と思う隙がないほど、「何か」に取り組むことでした。

自分のことを考えないでいい場合、軽い鬱症状は軽減するように思います。

私の場合、その「何か」が「教採」であり、「インターンシップ」であり、「セミナー」でした。

 

要は「修士論文」だけをやらなかったことで、

私は「修士論文」を書き上げることが出来たわけです。

 

諦めて「教採」だけでも、多分、ダメでした。

インターンシップやセミナーまわりもしていたからこそ、

「教採」も決まったのだと思います。

 

「修士論文」だけに追われていると、やがて修士論文も書けなくなります。

やるべきことが多いと、その合間に「修士論文」を書きたくなります。

不思議ですが、そういうものです。

 

 

逆に私の場合、「コワーキングスペース」という「協働の学び」「共同の仕事」を誘発する環境に

インターンシップをしていたことが、修士論文の「オチ」をつけるのに非常に役立ちました。

 

私の修士論文のタイトルは「通信制大学学生会の持つ機能に関する一考察」です。

サブタイトルは「学生会の学習支援機能とシャドウ・ワーク機能」。

 

この修士論文はイリイチのシャドウ・ワーク概念を通信制の学習や「共同」の学びに応用した「世界初」の論文です(たぶん)。

共同の学びをすればするほど、逆に学校という「制度」側に絡め取られてしまう、という可能性を示唆した論文です。

 

この「オチ」は、確か11月、インターンシップ先のコワーキングスペースで夜21:00頃、

掃除をしていた際に思いついたものです。

 

やはり修士論文だけをやっていると、こういう発想は出なかったんだなあ、と思います(成功しているかは不問に付します)。

 

「これだけやる」と決めると、人間、案外うまく行かない。

でも、「あれもこれも」やると、案外両方できてしまうものです。

結果的に、「これだけやる」視点では見えない物もみえるものです。

 

この考え方が、いまの私の原点となっています。

 

ですから、「修士論文」に苦しんでいる皆さん。

別のこともやってみましょう。

セミナーにも行きましょう。

専門分野ではない勉強会を開きましょう。

 

博士課程に行かないのならば、修士2年目は「学生」が出来る最後のチャンスです。

どうせなら、「修士論文」も「学生」も、満喫したくありませんか?

 

私は欲を出して色々やり、結果的に「楽しい」修士2年目後半を送ることが出来ました。

 

禁欲主義は、よくないです。

それが私の餞の言葉でございます。

 

「ひとつより、ふたつ。

やるなら思いを込める」。

 

これで道は拓けるはずです。

新渡戸稲造『武士道と修養』実業之日本社 2012。

「事をなす者、多数の中の有力なものが人の長となり、王となるということになる」(40)

 

「僕の考えでは、「勝つ」というときは比較的で相手の存在を必要とし、それを打ち倒すことを意味する。一方、「克つ」は絶対的で敵の有無を問わない。むしろ敵の有無は二の次で、自分に敵対する者があればそれを破るが、敵対する者がいなければ、その力を自己の発展、己を磨くことに転用する」(41)

 

「僕は札幌農学校で教えていたころ、学生が気にさわるようなことをしても決して怒るまいと決心した。そこで教室に入るとき、扉のノブをつかみ、

「生徒は大切である。たとえ無礼なことがあったり気に入らないことがあっても、必ず親切に導かなければならない」と自分に言い聞かせ、なるべく怒らないよう心がけた」(51)

 

「小さなことに注意を払い、何度も繰り返し反省することで、他日、同じことが起こったときに迷うことがない。日々、己に克つことで、大きなことに身を捧げることができるのだ。英雄豪傑はいざ知らず、凡人は細事を細事とせずに修養するのがよいと思う」(53)

 

「現在していることが小さなことであっても、大きな理想の一部を実行しているのだ、というところまで考えがいかなければならない」(76)

 

「社会から外れても、あるいは社会からつまはじきされても、人間として僕は僕だ、というくらいのところまでいけたら、しめたものだと思う。達磨のように蹴とばされても転ばず、人を怨まず天を恨まず、毀誉褒貶など気にかけず、職業はどうあろうと、一個の人間として天を楽しみ地を楽しんで世を渡るなら、実に満足で愉快な人生ではなかろうか。そこまで行くくらいな考えでやったなら、小さな不平などなくなってしまうはずである」(80)

 

この本を読んで、お茶を習いたくなった。

日本通信教育学会の第60回研究協議会で、発表致します!

私、実はまだ(自称)研究者でもあります。

 

私立通信制高校の「参与観察者」でもあるわけです。

 

2012年11月17日(土)、

桜美林大学四谷キャンパス地下ホールで実施されます、

日本通信教育学会第60回研究協議会。

http://jade.r-cms.biz/

13:30-14:50に、「特別研究発表」として、

わたくし藤本研一が発表させていただけることとなりました。

 

題して「私立通信制高校のエスノグラフィー」。

指定討論者には、私が修士論文にも引用し、

実践者・研究者として尊敬している方にお引受けいただいております。

この方の御著作の経歴欄を見て、初めて存在を知ったのが

日本通信教育学会であります。

 

そのため、今回発表できるのはすごく意義深いことですし、

何よりも非常に嬉しいことです。

 

曲がりなりにも修士論文を書き上げてよかったなあ、

と思う点であります。

 

通信教育に興味のある方、ぜひ参加費4000円をお支払いの上、

当研究協議会に起こしいただければ幸いです。

 

http://jade.r-cms.biz/

人生は「具体的に」でうまくいく!⑨

「未決BOX」を作ると、仕事ははかどる。

 

仕事をやる際に大切なのは、

「やるべき仕事」を明確にすることです。

 

「やるべき仕事」が資料に埋没すると、

捜すという手間がかかります。

 

推理小説において、推理という仕事の前に

資料の捜索が行われます。

 

シャーロック・ホームズは捜査のために何日も同じ場所を探しまわります。

シャーロック・ホームズでさえ、モノを捜すには時間がかかるのです。

であれば、仕事の際の探し物にも、たくさんの時間がかかっているはずです。

 

「やるべき仕事」に関するものは、すべて同じ場所に。

野口悠紀雄のいう「ポケット1つ原則」です。

捜す場所を1つにまとめると、結果的に捜す時間が減ります。

 

よく映画にでてくる「未決箱」は、「やるべき仕事」をおいておくのに便利な場所です。

 

「やるべき仕事」すべてを入れると、机が広くなります。

広くなると、やるべき仕事に集中できます。

 

頭がスッキリして、仕事がはかどります。

 

 

同じ理由で、私はデスクマットには何も入れず、緑シートにしています。

なぜか? 人間は集中を分散できないからです。

 

ただでさえ私は集中が分散しがちです。

だからこそ、緑シートのみにしていると、見るべきものが仕事だけになります。

 

「あれもこれもやらないといけない」状態に、人間は耐えられません。

未決BOXに仕事を入れて、上から順にやっていく。

 

すると気づけば仕事はおわります。

 

「具体的に」生きるために…未決BOXに仕事を突っ込んでおく。