【イベント】日曜バー「うどんパーティー」!

本日3/31、日曜バーでは「うどんパーティー」を開催!

現役北大院生の中野展裕さんによる、本場・讃岐(香川県、つまりうどん県)の手打ちうどんをご提供!

写真 のコピー

 

今日19:00からのために、なんと今日は10:30からずーっとうどんを打っていたそうです・・・。すごい!

単にうどんをたべるだけでなく、
この場に居合わせた人たちと楽しく交流を行います。

主催の中野さんの今日の趣旨は「うどんコミュニケーション」。

うどんを通じて、人がつながる。

皆さんの楽しそうな様子、伝わって来ました!

写真

 

ただ、だいぶお待たせしてしまった点が反省点です・・。

次はもっとうまく運営します!

去りゆく一切は…

「去り行く一切は比喩にすぎない」シュペングラー

 

比喩とはつまり、想像の産物。

人間が頭でつくったもの。

 

これは「ユーモア」と同じだ。

すべてはユーモアだ。

 

去り行く一切はユーモアの一幕。

 

そう考えると、仕事の大変さも、

人間関係の煩わしさも、

観客から見た時は「楽しい」ユーモアの光景に過ぎなくなる。

 

「去り行く一切はユーモアだ」。

それこそ人間に必要なこと、だ。

「あえて金子みすゞ批判」への追記。

この前、ある方から本ブログの「あえて金子みすゞ批判。」へのコメントを頂きました。

拙文、お読み下さり、ありがとうございます。

プライバシーの関係上、そのやり取りを直接は書けないのですが、

返信を書いていると少しテンションが上がってきたので、その文面を「追記」として以下に書きます。

・・・・・・・・・・・・・・

「あえて金子みすゞ批判」、お読み下さりありがたいです。

 

教育現場には「みんなちがって/みんないい」を引用してばかりの人が多く、なんか「イヤ」になってしまうのです。

思うに、金子みすゞというのは決して詩の世界のメインストリームにいてはいけない人なのです。

 

あくまで何か部屋の隅っこで、「でもこんな考え方もあるよ」と言い続ける、代案提示人なのです(たぶん)。

 

おそらく、私が感じる暴力性の淵源は、金子みすゞにはないと思います。

 

むしろ、「みんなちがって/みんないい」と言いたがる、偽善的な教育現場の「暴力性」を感じるわけです。

 

金子みすゞではなく、金子みすゞを「語りたがる」人の暴力性とでもいえばいいのでしょうか。

 

「みんなちがって/みんないい」という人に限って、

「えー、でも小鳥と鈴とわたしを〈同格〉にしちゃうのって、詩の表現方法としてどうなの? わざわざ当たり前のメッセージを、こんなに白々しく表現しないといけないの?」などという意見を「認めない」構図があるようです。

 

「みんなちがって/みんないい」。

ちょっと考えてみる必要が有るようです。

子どもは「学びたがっている?」

小阪裕司は「顧客のニーズなんかない。顧客はわくわくを求めている」と述べる。(『「惚れるしくみ」がお店を変える!』)

これは教育にも言えることだ。

ハッキリ言って、生徒は「学びたがっている」ことなんて、ない。

学びたいものもない。

「ほしい物」がはっきりしない分、「受験」をテーマに授業をすることになる。

そして「ニーズに応えている」と受験校の教員は述べる。

しかし、それは本当だろうか、と感じた。

内田樹は〈学びというのは「贈与」であり、学ぶまでは自分が何を学びたがっているか分からない〉と述べる。

何を学ぶか、なぜ学ぶか分からない状態から学習は存在すると言っているのである。

生徒は学びたがっているわけはない。

生徒は「わくわくすること」を求めている。

学校もひとつの総合サービス業である。

であれば、生徒の「わくわく」を誘発する「しくみ」を作らねばならない。

それが「この内容は面白い」「楽しい」ということが伝わる授業であろう。

私はかねがね、「ドラクエ並みに面白い微積の学習教材が開発されれば、日本の国富が増大する」と思っているが、

これも「楽しい」「わくわくする」状態を学校のなかに取り入れることになると考えられる。

昔のマグネットスクールの発想である。

学校に生徒自らが「惹きつけられる」状態を理想とする、ということだ。

この「惹きつけられる」状態、生徒に「何を学びたい?」と聞いても教えてくれるわけはない。

それはデパートの店員がお客に「何を売って欲しいですか?」と聞くことと同じである。

お客は思いつきのアイデアを述べはするが、それで売上が高まるわけではない。

顧客は自分の「欲しい物」を知らないためである。

日本人で理数が嫌いな人が多いのも、「あ、難しそう」と逃げてしまうからだろう。

案外やってみると、面白かったりする。

教員という仕事は、生徒が何をわくわくするか、見極めながら授業をすべき、

恐ろしく高度な「総合サービス業」なんだなあ、とつくづく思う。

もっと修行せねば。

 
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映画はどこまでも「同時代性」の産物だ。

よく、昔の映画を観ます。

 

黒澤明や小津安二郎、チャーリー・チャップリンなどなど、

いずれも大好きです。

 

でも、最近はあんまり観なくなりました。

物理的に家で映画を観るのが面倒になったのと、

そういう時間を作るのが辛くなったためです。

 

どうせ観るなら映画館。

ところが私の勤務先である札幌にはすぐいけるところに名画座がないため、

どうしても「いま」の映画になります。

 

でも「いま」やっている映画を観ると、

いまの人々が何を考えているのか、

何を求めているのか、

何をしたいのか、

「なんとなく」伝わります。

 

これは昔の映画ばっかり観ていた時期には気づかなかった点です。

「映画史に残る名作」という言い方がありますが、

「内容」・「中身」の良し悪しを観ていました。

「メッセージ」を観る・「表現」を観ていたのです。

 

そうではなく、映画は本当は「空気」を観るものなのではないか。

そう考えています。

 

映画はどこまでも「いま」の「空気」を表すものです。

2013年の映画は「2013年はこういう年だったのですよ」というのを

伝えるためのツールです。

 

2013年にいる人間にとって、2013年がどういう年か、

よくわかりません。

 

だからこそ「映画」を観て2013年の「空気」を知るのです。

 

映画はどこまでも「同時代性」に立脚しているのです。

 

「メッセージ」や「表現」がどうこう言うべきものではなく、

実は「時代」や「空気」を伝えるためのもの。

 

そう言えるはずです。
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ウサギの目

世の中には、知らないほうがいいことは多いものです。

たとえばシャンプー。

安全性のテストをどのように行なっているのでしょう?

ウサギっていますね。

可愛いものです。

ウサギの目に、シャンプーをたらすんですね。

なんでこんなことをするのか?

それはウサギの目はとっても敏感だから。

人体の安全性を見るのにとっても便利なのです。

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ためしにシャンプーを自分の目に入れてみてください。

とっても痛いはず(私はやらないけど)。

今夜シャンプーをする際、ウサギの苦労をわかってあげてください。

知ってしまうと、行動に責任が生じます。

シャンプーを使うたびにウサギの映像が頭に浮かびます。

…そうなると、何かアクションをするはずです。

世の中には知らないほうがいいことは多いもの。

でも、「知ってしまった」以上は、何か責任がつきまといます。

それが学ぶことの楽しいところでもあり、

ツラいところでもあります。
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【お知らせ】日本ノマド・エジュケーション協会のロゴが出来ました!

日本ノマド・エジュケーション協会、おかげ様で設立1周年!

それを記念して、心機一転、新たなロゴを作りました!

こんなのです!

ノマドロゴ単体英字jpegショート

Lowcostの釣浦さん、素敵なデザイン、ありがとうございます!

ちなみに、このロゴ、なにかわかりますか?

分かる人は「鋭い」人です。