伊藤進, 2005, 『ほめるな』講談社現代新書。

教育の現場の中では「ほめる」ことが重視される。
はたしてそれが「無条件でいいこと」なのか?

本書の課題はそこにある。

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筆者は単に褒めることを「道具的条件づけ」と定義し、それが動物の調教と同じだ、と指摘する。

「道具的条件づけは、動物や人間をコントロールする方法です。強化という手段を使って、相手をこちらの思い通りに行動させようとするテクニックです。相手に自主性をもたせ、将来的に自立させようとするどころか、それとは逆に、指示にしたがって動く受動的な存在をつくり出すものといえます。
したがって、「ほめる教育」は、教育の根本目的に照らすなら、大きな弊害をともなうものだといわざるをえません。子どもたちにとってもっとも大事な自立する力を育てないどころか、指示にしたがってしか行動できないいわゆる「指示待ち人間」をつくり出してしまう可能性が高いのです」(43-44頁)

「「ほめる教育」でつくられる意欲は決して本物の意欲ではなく、つねにほめることによって支えてやらないとだめな意欲なのです」(44頁)

「ほめることによって、価値があるんだと認めてやる。あるいは、価値を付与する。もうおわかりのように、裏返せば、これは、「ほめられなければ価値がないんだ」というのと同じことです。実質的に、そういう価値観に立っているということなのです」(48頁)

「わたしは内発的動機づけのことを、ニックネームで「アモーレ情熱」と呼んでいます。「アモーレ」はイタリア語で「愛」です。つまり、アモーレ情熱は「好きだからそれをするんだという純粋な情熱」です。
一方、「外発的動機づけ」は、活動の結果として得られるなにかを目的とするモティベーションです」(61)「こちらのほうのニックネームは、「ギリチョコ情熱」です」(62頁)

「すこしでもいいところを見つけてほめるという行為は、子どもたちの活動にたいして心理的な報酬としての役割をはたします。そしてそのことから、活動にたいするアモーレ情熱をそこなってしまう危険性をもつのです」(72頁)

「本人がアモーレ情熱にもとづいてやっていることにたいしては、なるべくほめたりしないようにすることです。かりに本心からほめたい気持ちになったとしても、それをぐっと抑えるようにする。大事なアモーレ情熱をはぐくむには、大人があまり介入しないほうがいいのです」(89頁)

本書で重視するのは、単なる「ほめる」教育ではなく、「ほめる」も「叱る」もする「インタラクティブ型支援」を提唱するところである。
要は「コミュニケーション」、だ。

ほめる関係性は「教員-生徒」の一方通行の関係性となる。
いわゆる「預金型教育」(フレイレ)に近い。
教員が一方的に指導・教授をし、生徒がそれを受け取る。
それに対し「よくできました」「すばらしい」という評価をするだけの関係。

フレイレは「預金型教育」から「対話型教育」への転換を主張している。
これは本書で言う「インタラクティブ型支援」と言えるであろう。

「教員-生徒」の双方向型の教育へ。

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