イケダハヤト, 2014,『新世代努力論』朝日新聞出版.

「まず理解していただきたいいのは、「努力すれば報われる」という考え方は、根本的に傲慢だということです。ぼくらはそんなにパワフルではありませんし、社会はもっと複雑なのです。」(28)
イケダハヤトは、いわゆる「努力」を否定するところから本書を始める。
だからといって、「努力」は不要、ということにはならない。
「努力はスキルだ」(68)とあるように、必要なときに・必要な努力をする力を、
人は「後天的に」身に付けるべきだ、という。
違うのはその先だ。
「努力すれば報われる」につながる努力を求めるのではなく、
没頭できるような事項に集中して取り組むことを重視するのだ。
その姿をイケダは重視する。
「ぼくがオススメするのは、誰かが失敗しているのを見たとき、または、自分が失敗してしまったとき、「単に運が悪かっただけだ」と諦めることです。一見無気力な考え方のようですが、これは自分にも他人にもやさしくなれる考え方です。」(100)
「あなたがしている努力がもしも我慢や犠牲を伴うものなら、そんな努力からはさっさと手を引くべきです。
 なぜか。
 第一に、あなたはその努力をすればするほど、自分に甘くなっていくからです。」(104)
「第二に、あなたは努力をすればするほど、他人に厳しくなっていきます。」(105)
イヤイヤの努力は「私はこんなにしているのに、うまくいかない」というイライラがつのる。
また、周囲に対して「私はこんなにしている。それなのにアンタはどうなの!」という怒りにつながる。
(ブラック企業で「がんばる」人が、「サボっている」ように見える同僚にいう言葉でもある)
本書はだから自分も他人も「許し」、その上で「努力」ではなく自分が没頭できること・得意なことに取り組むことを訴える。
イヤイヤ努力することの弊害は、うまく結果が出ないときのフラストレーションが高くなる、ということだ。
だからこそ、好きでたまらないこと・時間を忘れて取り組めることに没頭する時間を増やすことが大切だ。
イヤイヤ努力と違い、これは好きでやる仕事である。
うまくいかなくても、「好きだから、まあいいか」と思える。
(あまりやらなくなったが、私のやるまずい手品もこの一つ。失敗してもいいじゃないか)
「自他を犠牲にしない健全な成功というものは、いつでも「楽しんだ結果」として、いつの間にか成し遂げるものなんだと思います。努力して努力して、すべてを犠牲にしてようやく成功した・・・・・という話を人々は好みますが、そういうやり方だと、成功しなかったときに絶望的になってしまいます。たとえうまくいかなかったとしても「ま、やってて楽しいしそれでいいや」と割り切れるようになるのが、これからの時代の健全な努力なのです。」(120)
・・・これに近い話がある。
職業上、保護者と生徒本人の話を聞く。
「私はこんなにこの子のために取り組んだんです」という人ほど、努力は空回りしている(ことが多い)。
聞いている子どもの方は返す言葉がない。
どちらにしてもメリットのない会話となる。
本書は「努力論」のみならず、「究極のところ、人間にとっては運が大事。恵まれない立場に生まれた他者にも自己にも優しく、健全な努力をしよう」と訴える本である。
・・・さて、私にとっての「没頭できるもの」とは一体なんだろうか。
私は結構映画が好きだ。
映画館で見る映画、と答えられると思う。
もう一つ、言うとすればそれは文章執筆だ。
イケダハヤトではないが、私もプロブロガーを目指した時期がある。
・・・その「健全な努力」の成れの果てがこのブログです。
どうか温かい目で。
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