心理的サヨナラ主義の考察。

生きることは旅でもある。
その旅の中で、人はひと時他者と出会い、そして別れていく。
寺山修司のいう「心理的サヨナラ主義」は、単なる別れを意味するのではないことに最近ようやく気づいた。
「サヨナラ」と他者に告げることは、別の〈何か〉との出会いのチャンスを広げることにつながる。
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私の好きな言葉の一つに「長居は無用」がある。
もはや価値の無くなった場所・組織に長く居ても、自分の成長につなげることは出来ない。
そういう場所・組織に対して、果敢に「サヨナラ」という勇気こそが、次なる成長のチャンスにつながっていく。
「長居は無用」を、私はそんな意味に解釈している。
「長居は無用」。
この言葉から連想されるのは、「長居」がもたらすマイナス面である。
長く居ていいのは、自分との心理的つながりのある場所のみ。
心理的つながりのある場所には、自己を成長させてくれる場所・組織も当てはまる。
「さよなら。」と言えば君の/傷も少しは癒えるだろう?「あいたいよ・・・。」と泣いた声が/今も胸に響いている」
(SMAP「オレンジ」)
この歌の主人公は「サヨナラ」ということで他者の大事さ・他者との関係構築の難しさに気づいている。
言ってしまえば、このことに気づくことだけでも、この出会いに価値があったといえるだろう。
その分自己が成長しているのだから。
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