斎藤環『承認をめぐる病』

「俺って、そういうキャラじゃないから」。

無意識の内に、こんなセリフをいうことがあります。

本来なら、「そういうガラじゃないから」というべきところでしょう。

私たちは日常的に「キャラ」や「キャラクター」という言葉を使うようになってきています。

さて、「キャラ」ってなんでしょう?

Webサイトの日本語俗語辞典http://zokugo-dict.com/07ki/cara.htmでは「キャラ」のことを次のように解説します。

キャラとは英語の“character(キャラクター)の略で、character同様、個性・特性、性格を意味する。また、character(キャラクター)の略として、漫画や劇の登場人物、配役という意味でも使われる。「キャラがかぶる」「キャラが立つ」といった使用の他、「アニメキャラ」「ゆるキャラ」「萌えキャラ」などに見られる。

 「ガラ」というのは、人柄の略です。

人柄は、言ってしまえば人それぞれ。

 それに対し、「キャラ」には限られた種類しかありません。

「いじられキャラ」「関西弁キャラ」「天然キャラ」「すべりキャラ」などなど。

TVのバラエティ番組における各タレントの役回りが、日常の中に入ってきているような感じです。

 本書『承認をめぐる病』では、いまの若者が「キャラ」によって人間関係を成立させていることを指摘します。

 いまの社会では、「コミュニケーション能力」に評価尺度が一元化しています。

そのため、「コミュニケーション能力」(=「コミ力」)の低い「コミ障」は絶対的に低い地位に心理的にも経済的にも追いやられてしまいます。

 それを回避するため、「キャラ」という想定可能な人間関係の型を用意するのです。

それにより、「こういうキャラにはこういうコミュニケーションの仕方をする」というハウトゥが成立しています。

 ただ、本来のコミュニケーション能力は、内田樹がいうように、〈コミュニケーションが出来ない相手とコミュニケーションが出来る力〉であるはずです。

 「コミ力(こみりょく)」が重視される割には、貧しいコミュニケーションしかできていない今の日本。

「なんとかする」には、いろんな方法があります。

 (1)キャラクターの種類をほぼ無限まで広げる・・・一人1キャラクターになれば、それは「個々人の個性の言い換えがキャラクター」になる。それを目指す。

 (2)「あなたのコミュニケーション能力で全てではないですよ。もっと違うコミュニケーションの仕方が有りますよ」といい続けていく。

 (1)はさすがに手間と時間がかかります。

とすれば、学校や社会の役割は「あなたの考えているコミュニケーションとは違うカタチのコミュニケーションがあるんですよ」といい続けていくことでしょう。

古臭い言い方になりますが、携帯やスマートフォンのLineTwitterとは違う、「夜通し日本の政治について真剣に語り合う」「寮で夢を語り合う」ような「汗臭い」「アツい」コミュニケーションの存在を語っていくことが必要でしょう。

内田樹のように、ユートピアとして「昔はもっといいコミュニケーションがあった。これから、その頃のコミュニケーションを復興しようではないか」と遠い目をして語りかけて。(『街場の教育論』)

2Q==

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