学ぶことの意味

●学ぶことの意味

 

なぜ私たちは学ぶのだろう。

それも、何かを本によって。

 

きっとそれは、学ぶことがすごく「楽しい」からだろう。

知らないものを知ることは、自分の中に新たな「言語」を入れることになる。

 

新たな言語を知ることで、自分の世界が広がる。

 

大学に入って社会学を勉強した時、

世界の見方がわかった気がした。

特にブルデューの理論がわかった時、

なぜ世の中に不平等が存在するのか、

すべて説明できるようになった気がした。

 

しかし、その理論も限界や穴を見つける日が来る。

そこからさらに自分の世界の見方は変わっていった。

 

●学ぶのは幸せになるため

 

学ぶのは自由になるためだ。

それは学ぶことで、自分の好きな生き方をすることが可能となる。

 

私が一方的に私淑している苫野一徳氏の著書である、

『どのような教育が「よい」教育か』のテーマは、つまるところそこにある。

人間が近代社会をつくったのは、人によって求める「幸せ」が違うためだ。

 

ある人は大勢でワイワイするのが幸せだと感じる。

ある人は一人でいるほうが幸せだと感じる。

 

そのため、各人が出来るだけ幸せでいられるよう、近代社会は「自由」を保証しているのである。

この自由には自分が生きたいように生きる、ということが前提としてある。

この「生きたいように生きる」には、学習が必要なのだ。

だって、人間は生まれたままでは何もできない。

言葉を話すのも、自分が学習した結果なのである。

であれば、自分が生きたい生き方を送るには学習が必要なのである。

 

●行動!

 

私が大学に入学したのは2006年。

大学の中では「ボランティア」や「NPO」をやることが流行っていた。

ただ授業に出るだけでは、無意味。

「ボランティア」なり「NPO」をやることが「オシャレ」というテーゼがあった。

 

私もこの波の影響を受けた。

当時から興味のあったフリースクールの見学に行った。

そして運営のお手伝いをした。

「ボランティア」である。

 

かつて、大学の勉強だけすれば就職が決まった時代がある。

 

明治期、帝国大学卒であれば、仕事があった。

学歴で給料差が明確にあった。

それが昭和期に入り、大学を出ても仕事がなくなる。

大学の数が増え、大卒者が大量に出た。

それに見合う仕事がなくなったのである。

 

視点をここ10年に戻そう。

1990年初頭のバブル期には会社説明会に行くだけで

お金と食事が提供された、という。

新入社員を多くとりたくて仕方がなかった時代があるのだ。

 

しかし、バブル崩壊後、極端に就職が厳しくなる。

追い打ちをかけるのが1996年の「就職協定」廃止である。

それまで、就活生を相手にした「会社説明会」は勉学との関係上「この日からではないとダメ」だという規定があった。

大体6月くらいが「会社説明会」を開始できる日であった。

その規定がなくなった後、企業は出来る人材を出来るだけ早く取ろうとするようになっていった。

 

企業が学生を評価する時、かつては「サークル」の代表や幹事長を経験することが評価された、という。

私が大学生のときはそれに加え「ボランティア」や「NPO」の活動の経験が問われるようになった。

現在、できる学生は企業のインターンを行なっている。

つまり、企業に入り、実際に働いたり、イベントを企画したりするのである。

 

こうしてみると、

サークル→ボランティア・NPO→企業インターンと、

次第に大学から離れ企業に近づく形での活動が評価されるようになったことに気づく。

 

かつてはサークル、

私のときは「ボランティア」、

いまは企業の「インターン」が企業に評価されるのである。

 

ぱっと見ると大学の授業とは異なるようだが、本当は違う。

実際に何かをやってみることで、学びの意味が再確認されるためである。

また、実際にやることで多くを学べるようになるのである。

 

そして「資格」「検定」だ。

TOEICの点数を書く欄がエントリーシートにある。

しかも企業が「評価」するとは限らない(圧倒的な力関係の差である)。

 

●学ぶとは学習する習慣付けをできるかどうか、だ。

 

先日、ある飲み会で出会った方と帰る途中、

「昔」の日本社会の話を聞いた。

 

携帯電話がないころ。

自動改札がないころ。

携帯電話の「乗り換え案内」ができないころも、

人はあの複雑な東京の地下鉄の乗り換えを行なっていた。

 

すべてほんの20年前の話だ。

 

私が物心ついた頃にはすべてがあった。

 

いま私はMacのノートパソコンで原稿を打っているが、

20年前には1家に1台あれば「すごい」ことだった。

 

時代は恐ろしく進む。

変化のスピードが加速している。

 

だからこそ、常に学び続けるということが重要になった。

大事なのは「何を」学ぶか、ではない。

とにかく学び「続ける」ことだけである。

だって、正解は世の中にはないのだから。

 

1990年代までは、学ぶのは学校までで良かった。

私は子どもの頃から自己啓発本の大好きな少年だったが、

その頃地元の図書館にあったサラリーマン向けの本には

社会人こそ学ぶ必要がある、とでかでかと書かれていた。

「当り前」ではなかったのだ。

 

私たちは時代の変化の中で

自分のやりたいことをするために

学び続けることを要求されている。

 

しかし、せっかくやるなら楽しくやりたい。

どうせ我々は一生学び続けないと食っていけないのだ。

この事実を認めるしかない。

そうであれば答えは一つ。

学びを楽しむことだ。

 

逆にいえば、これから学びを楽しく出来る

「しくみ」を作れる人が稼げる時代だ。

 

楽しい授業の出来る教員。

わかりやすく教養が学べる生涯学習講座。

ドラクエなみに楽しい数学ゲーム(これ、本当にできたら日本が世界に誇れる商品になる)。

 

楽しい学びを提供することは、皆の役に立つ。

であれば私もそういう生き方をしたいなあ、と思う。

 

学ぶのは楽しい。

このことを伝えるために、私は教員をやるし、起業をやる。

自分の姿を通じて伝えられるなんて、楽しいことではないか。

おまけに私は人の前で話すのが大好きだ。

失敗しても、楽しい。

であれば私は人前で話す場をセッティングする形の起業をしたい。

 

●知ることで世界が豊かになる

 

道を歩く。

道端の雑草にも、可憐に花の咲くものがある。

「オオイヌノフグリ」に「タンポポ」、数ある花には学者のつけた名前がある。

 

「名もない花」は、現在の日本にはほとんど存在しない。

我々が日常的に目にする花は、すべて名前が付いているのだ。

 

少しでも花の名前を知ると、いつも通る公園の景色が変わる。

「あ、あれはシロツメクサだ」と世界の切り取り方が大きく変わるのだ。

 

かつてウィトゲンシュタインは〈すべての事物は1体1で対応する「名前」を持っている〉と述べた。

これは後に本人が否定する考え方ではあるのだが、

新たな名前を知ることで我々の世界は豊かになる。

 

「名前」を知ることが、世界を知ることになるのだ。

 

学問も同じである。

説明されるまではわからなかった概念が、分かるようになる。

例えば、普段会社で仕事をするシステムを「資本主義」という名前で呼ぶことで、

私たちの社会のシステムが明確にわかるようになる。

 

いろんな事物の「名前」を知ることが、世界を豊かにしてくれる。

自分の生き方も豊かになる。

 

●私の受験勉強法。受験から学べること。

 

今の時代、中学生の通塾率は9割を超えている。

勉強ができる人もできない人も、塾には通っているのである。

当然、大学受験においても、「塾」「予備校」が多く要請される。

「塾」や「予備校」、それに「通信教育」が有名大学入学の一つの条件となっている。

そんななか、私はこの3つを使わずに早稲田大学に現役合格した。

早稲田の友人に聞くと、この3つなしに合格している人はほとんどいなかった。

まあ、少数派であったわけだ。

受験勉強をどうやってやったかをここでは述べていきたい。

それは、

①受験勉強の「方法論」は人生で生き抜くための方法論でもあるためと、

②「学ぶ」ことの意味を再確認できるためである。

 

受験勉強を本格的に私が開始したのは、高校3年生の8月の末であった。

それまで漫然と「東大合格」を目指していた私は、その時までずっと数学の問題集を延々とやっていた。

朝からずーっと青チャートという問題集を解く。

しかし、やり方が悪いからか全く数学の成績が伸びなかった。

8月末の「センター模試」を受けた際、その成績の悪さに愕然とした。

「このままでは、現役合格なんて無理」。

高校3年生の1学期に受けた東大模試でも、偏差値40(全教科の総合の偏差値)という結果が書かれていた。

センター模試で実力を知らされたその日から、私は本格的に受験勉強を開始した。

もうやることは決まっている。

成績の悪い数学を「切る」ということだ。

一切、数学の勉強をしないと決めた。

それまでだらだら数学の問題集をやっていたので、数学の勉強時間だけはめちゃくちゃあった。

それをなくし、自分の得意分野のみをやることとした。

私の得意分野。それは日本史と国語であった。

私立大学ならば、この2つに英語を足した3科目で受験できる。

そう気づいた瞬間から、私は第一志望を早稲田大学に切り替えた。

 

9月の間は、日本史の問題集をやりまくった。

1学期の間に、日本史の通史は『実況中継』シリーズで5回読んでいた。

そのため、「流れ」はうっすら頭に入っていた。

あとはその「流れ」を明確にするだけであった。

山川出版社から出ていた「30日完成」シリーズの日本史をまずやっていった。

問題をやり、出来なかった問題には「☓」をつける。

そうして日付を書いておく。

一日5項目と決め、毎日やると6日で終る(30項目しかないため)。

その後、一度「☓」がついたところだけやっていく。

今度は1日10項目。すると3日で終る。

その次、2つ「☓」がついたところだけやる。

1日15項目でやると2日で終る。

 

…これを延々とやると、その問題集は「もう解けない問題はない」ところまで到達する。

そしてこの問題集より難しい問題集を買ってきて、やっていく。

こんな感じで日本史だけで私は7冊の問題集をやった。

受験勉強とは要は「できない問題を出来るようになること」を繰り返すだけだ。

問題集を何冊出来るかで、合格するか否かが決まる。

必死だった。

日本史で問題集を3冊ほどこのやり方でやれば、かなり自信がつく。

そこから国語・英語も同じ方法でやっていった。

そうすることで、早稲田大学の教育学部に合格したのであった。

なお、受験の際は科目選択と「点数配分」が重要である。

私の場合、最後まで英語の点が伸びなかったので、「英語」「国語」「日本史」の点数がすべて50点ずつである、

早稲田大学教育学部教育学科を受験した。

この合格最低点は92点だった。合計が150点満点であるから、日本史・国語で45点取れれば、英語が2点でも合格できる。

実際、私は英語の試験の文章がさっぱりわからなかった。でも合格したのであった。

ここから学べることが2つあった。

1,できない問題を出来るようにするだけで合格できるということ。

つまり、目標を達成するには「できない問題を出来るように」すればいいだけであるということだ。

お金が無いのならお金を稼げば問題が解決する。

友人が居ないのなら友人を作る。そのために友人とのコミュニケーションの仕方を練習する。

自分に何か切実な問題があるのなら、それを嘆いていても始まらない。

問題を解決するために具体的に動いていくことである。

「早稲田大学合格」もそうである。

合格できない自分を責める間に、少しでも「合格」につながるアクションをすべきなのだ。

それが「問題集を買う」こと、「問題を解くこと」になっただけである。

要は目標を達成するには「すぐに行動する」ことが大切なのだ。

 

2,自分の能力を活かす場所を捜すこと・作ること

私は数学が苦手である。そのため、「数学」を出来るようにして東大に何としても受からないと、と思っていた。

しかし、「そこまでして東大に入って何をするのか」という点が不明確であった。

早稲田の教育学部は結果的には「一番、点数配分的に合格しやすい」学部であった。

けれど、昔から「学校ってなんだろう」「教育って何のためにあるのか」という素朴な疑問があったため、

「教育学を学ぶのもいいな」と思っていた。

それであれば(浪人してでも)無理して東大に入るよりも、はやく早稲田に入って教育学を学んだほうが

「トク」なのではないかと考えていた。

私の場合、この選択に後悔はなかった。

そして早稲田では教育学を研究する大学院まで行くことになった。

東大に無理して入っていた場合、何浪していたかわからない。

いま考えると、選択を増やしてよかったなあ、と思っている。

 

●私が早稲田で学んだこと

 

私が早稲田で学んだのは「偽の二項対立をするな」ということだった。

 

たとえば私の高校生時代の切実な悩みは「部活と勉学をどうやって両立するか」だった。

この背景には、「部活もやりたい。でも受験で結果も出したい。どうやったら両方うまく行くのだろうか」という思いが存在している。

この「悩み」を解決する方法について、当時の私が考えたもので3つある。

 

①部活のみに力を注ぐ。

②勉強のみに力を注ぐ。

③部活と勉強、両方に力を注ぐ。

 

①の場合、受験勉強がうまく行かなかった場合、その「後悔」を感じる可能性がある、というリスクがある。

私の高校はある大学の「系列校」(付属校みたいなものだが、学校法人が違う)であった。

私の同期生はみなその系列の大学に「推薦入学」する。

それでいいのであれば、①の選択は可能であった。

 

②の場合。①の逆であるが、そもそも私の高校では「勉強」しかしない人に対する評価はあまり高くなかった。

むしろ生徒の委員会活動や部活動、文化祭などに強く関わることが評価されていた。

そのため、周囲の評価に関係なく、やり続けるという覚悟が必要である。

 

③の場合。両方やるというのはもっともリスキーだ。

なぜならば、両方ダメな結果しか残せない場合があるからだ。

もしプロセスに満足できるなら、③が薦められる。

結局私は、③をやる形となった。

(厳密には私の場合は部活ではなく生徒会活動が「両立」の一方の軸であった)

③の解決策こそ、「たいへんだけど、自分を成長させる」ものだと信じたからだった。

じっさい、私の高校の友人達の間でも、③の選択肢がもてはやされていた。

 

 

早稲田に入って学んだのは、①②③とも違う④の選択肢の存在だった。

 

④部活も勉強も、両方やらない。

 

④の選択肢の「すごさ」は、①〜③の前提をすべてひっくり返すところにある。

はじめは④を「不真面目」と思ってしまうことと思う。

しかし、「そもそも、部活も勉強も、そんなに大事なのか」という問いかけをする点に、意味があるのである。

 

①〜③は「何かをしないといけない」という強迫観念に駆られた選択であった。

しかし、④は「それ以外にもやり方があるんじゃないの」という思いを提示するものである。

 

④の発想を一度することで、①〜③の選択肢が生きてくる。

それは、①〜③は「何かをしないといけない」というマイナス志向から発しているためである。

①〜③はすべて、「まわりの評価」を求めている点では共通である。

つまり、何かで結果を出し、「まわり」から評価されたい、という思いが表れているものなのである。

「自分が本当に何をやりたいのか」が問われていないのだ。

 

学習心理学では、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」という概念を用いる。

昔、「テストで100点とったら、ゲーム機を買ってあげるわよ」と親に言われた経験を持つ人はいないだろうか。

残念ながら私の親はそうではなかったのだが、この場合が「外発的動機づけ」である。

つまり、「誰かに何かをもらえるから」勉強する、という態度である。

「誰かにほめられるから」「評価されるから」学ぶという態度だ。

この「外発的動機づけ」、はじめは効果を発揮する。

しかし、勉強して「ゲーム機を買ってもらった」あとには、効果がなくなる。

ただそれだけの効果しかない。

 

一方、「内発的動機づけ」は異なる。

自分が「これを学びたい!」という思いから発している。

「これを学び、仕事に役立てたい」という思いからの学習である。

心理学的には「外発的動機づけ」よりも「内発的動機づけ」の方が効果的だ、という。

長期的に働くのは「内発的動機づけ」の方である。

 

④の選択肢を考えることは、「内発的動機づけ」について考えることでもある。

つまり、④を考えることで「本当に受験も部活も、やる価値があるのか」という問い直しが可能になる。

今だから言えるが、高校生の時の私はまわりの「すごい」友人にコンプレックスを持っていた。

自分も、まわりから「すごい」と言われるようになりたい。

そんな「他人からの評価」が欲しくてたまらない弱い人間であった(今もそうかもしれない)。

そのため、受験も部活も、「がんばろう」と考えていた。

自分が「本当に」やりたいことだったかと言われると疑問を感じてしまう。

ただ「東大に合格する自分」が、友人たちから「評価」されることだけを求めて、私は受験勉強をしたのであった。

③のように、受験勉強で結果を出しながらも、部活でも結果を出すことで「すごい」と言われたかっただけなのであった。

生徒会活動に精を出したのも、もとはといえば「すごい」と評価されたいだけであった。

④を考えるまで、私は厳密な意味で受験勉強をやる意味や部活動をやる意味を考えていなかったことに気づいたのであった。

ここまで考えれば、①〜③の選択肢には「甘さ」が見えてくるはずである。

なぜ「部活」か「勉強」かということで悩まないといけなかったのか、という根本原因が見えてくる。

それが早稲田で学んだ④の選択肢である。

要は私は他者からの評価をもとめていたのである。

「外発的動機づけ」でしか動いていなかったのだ。

この文章を読んでくださっている方には、あまり④の選択肢の意味が伝わっていないかも知れない。

しかし、④を一度考えることはすごく重要なのだ。

④を考えた後、①〜③の選択肢を見ると、①〜③の内容をさらに深めることが出来る。

やってみよう。

 

①’ 部活が楽しいから、部活に力を注ぐ。

②’ 学習するのが楽しいから、学習に力を注ぐ。

③’ 部活も勉強も両方楽しいから、両方やって両方とも楽しむ。

 

要は他人の評価のために一生懸命やる必要はなかったのだ。

早稲田で学んだ④の選択肢は、①〜③の内容を豊かにしてくれたのだ。

④の選択肢のお陰で「部活か勉学か」という「偽の二項対立」を乗り越える事ができるんのだ。

④の選択肢の存在は、私の持つ、物事への見方を大きく変えてくれた。

これが「大学」に行く意味であるし、学問をする意味なのだなあ、としみじみ思う。

 

●日本人の職場がなくなる?

 

『2022』という新書を読んだ。

日本はこの10年、どんどん景気が悪くなる、というものである。

一方で中国はどんどん成長していく。インドも然りだ。

日本で仕事をすることはだんだん厳しくなる、という。

しかし。

それでも日本に残り続けて仕事をすることを著者は訴える。

そのことで日本のシステムを新しくするのである。

ちょうど私は大学院のゼミで『Global Auction』という本を読んでいた。

舞台はアメリカ。

昔は「大卒」に仕事があったが、いまは同じ仕事をもっと安い賃金で中国やインドの「大卒」者がやってくれる。

これはインターネットのためである。

プログラミングや事務作業などはアメリカ人よりも安い賃金で喜んで働く労働者が多くいる。

物価がぜんぜん違うためである。

こうして、かつて「頭脳労働」と呼ばれた分野も職場がアメリカから消えていく、という本だ。

 

これはアメリカのみでなく、日本でも同じである。

日本では1960年代以降、国内にあった工場が海外へと移転していった。

なぜか? それは日本よりも労働者に払う賃金が安くて済むからである。

そのため中国やタイなどに日本企業の工場は出店していった。

困ったのは誰か? 企業は困らない。安い賃金で喜んで働く人がいるためだ。

困るのは働いている人である。

学歴が低く、そして何か特別な資格・能力を持っているわけではない人たち。

こういった人たちを社会的に受け入れていた職場が工場である。

それがなくなると、かつて工場で働いていた人は別の仕事を探さざるを得なくなる。

折りしも、1980年代からアルバイトやパートタイムという仕事の形態が現れてきた。

コンビニやファーストフード店など、アルバイトを多く受け入れる仕事が増えてきたのだ。

その結果、かつて工場で働いていたような人はアルバイトとしてコンビニ・ファーストフード店で働くようになる。

コンビニなどは「第三次産業(サービス産業)」と呼ばれている。

なぜ第三次産業と呼ぶのだろう? それは「3番目」に出てきた仕事だからだ。

第一次産業は「農業」「漁業」「林業」「鉱業」(鉄鉱石や石炭を掘り出す)など、自然にあるものを用いて何かを作り出すことである。

第二次産業は第一次産業で作られたものを加工することだ。

たとえば蚕を育てて糸を取るのは第一次産業、その糸を用いてシャツを作るのが第二次産業にあたる。

第三次産業は第二次産業や第一次産業で作られたものを売るという産業である。

また、たとえば弁護士や作家など、他者へのサービスを行うことが仕事である産業でもある。

この第三次産業で収入を得ている人が、いまや日本の7割を占めている。

第三次産業には特徴がある。それは「他の人とコミュニケーションする」ことが仕事に含まれるという点だ。

飛行機にはキャビンアテンダントという人が働いてる。

昔はスチュワーデスと言っていたが、要は飛行機の中でお客への食事や飲み物の提供をする人のことである。

それだけでなく、嫌なお客に対してもスチュワーデスでは「微笑んで」いなければならない。

たとえどんなにツラい仕事をしていても、である。

社会学者のホックシールドはスチュワーデスは「感情労働」の典型である、と説明する。

 

「客室乗務員にとって微笑むことは〈仕事の一部〉であり、そこでは彼女が自分の仕事を労なく行っていると見せるために、自己と感情を調和させることが求められている」(『管理される心』8頁)

 

どんなに自分が理不尽にお客から叱られていても、スチュワーデスは微笑みながら仕事をすることが要求される。

自分で自分の感情を「管理」し、「制御」することが必要なのだ。

ホックシールドはこういう「感情労働」が、第三次産業の多くの分野に浸透してきたことを述べる。

そしてこの「感情労働」がいかに非人間的かを主張するのである。

 

私達が仕事を探す際、見つかるのは第三次産業が多い。

自分の感情を押し殺してでも「笑顔」が求められるのが「感情労働」である。

人と接するのが苦手、という人ももはや「感情労働」しか残されてない。

そういう非常にツラい状況に私たちは生きている。

海外に行くと、それはそれは酷いサービスが多い。

今年ベトナムにいった時、ものを売っている人はあまり微笑まなかった。

「感情労働」というものはほとんどなかった。

これが「普通」なのだなあ、としみじみ思った。

ところが日本では微笑まない店員はコンビニなどを除くとほとんど居ない。

仕事が嫌であろうが何だろうが、笑顔だけは要求される。

「笑顔」という仮面を、私達はつけないと働けないのである。

かつての第二次産業では、ムスッとした表情で工場労働をしても特に問題はなかった。

いまは「あの店員は態度が悪い」というクレームが届き、店員が解雇される時代になっているのである。

かなりツラい状況に日本人がいることはわかってもらえただろうか。

そんな中でも、もちろんチャンスはある。

「感情労働」が求められている今、逆に「笑顔」を心の底から出来ることは一つの「長所」である。

あまり笑えないなあ、という人も、トレーニングが必要である。

割り箸を用意して欲しい。

割り箸を横にして、口に加える。

これが「笑顔」をしている時の口である。

1日1度、鏡の前でやると、笑顔のイメージがつくようになる。

「笑顔」を求めるのは悪いことではない。

しかし、悲しいときにも「笑顔」でいろ、というのは酷な話である。

だからこそ、笑顔の練習が必要なのだ。

 

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